古地図と現代の地図、内山先生が撮られた写真を資料に「城東のまち 過去・現在・未来」がテーマの講義でした。
城東区、東成区、元々の城東区から分かれた鶴見区がある辺りは古代の昔より治水工事を繰り返し、水害との戦いの歴史でした。
一帯は沼地で、昔は蓮根畑が広がっていたそうです。
城東区のこの辺りは大坂城のすぐ隣であり、京と大坂の交通の要所である大事な土地でした。
古地図に載っている地名はほぼそのまま今の地名になっています。
放出の地名の由来
①新羅の僧・道行が熱田神宮より草薙剣を盗み出し、難波津で大嵐に遭って今の放出付近に漂着し、
神の恐れを感じて剣を放り出して逃げた。
➁古代から河内湖の水が大和川と合流して大川に注いでいた放出口(はなちで)が、
はなちで→はなで→はなて→はなてんとなったと、大喜利のような説があるそうです。
明治時代、放出村の村長だった大橋房太郎氏は度々洪水を繰り返す淀川の測量を行いました。
その後、大阪府議会議員となり、何度も上京して伊藤博文総理等に陳情し帝国議会で
淀川改修建議案が可決して、国レベルでの淀川の大改修を行いました。
榎木公園に「治水王」と呼ばれた大橋房太郎氏の功績をびっしり書いた石碑があります。
一番初めの石の写真は近くに史蹟があるという印です。
大坂冬の陣で有名な鴫野古戦場がこの辺りでした。
八劔(やつるぎ)神社
だんじりを入れる小屋があり、お祭りの時はだんじりを曳くそうです。
鴫野村の検地帳が保存されています。
大日寺
810年~824年の間に、弘法大師が創建したお寺です。
八坂神社→新喜多新田会所跡
大正時代の初期に、寝屋川の天満橋から片町-鴫野橋-朝日橋を経て新喜多大橋まで
通勤の為の巡行船が往復していました。
若宮八幡大神
大坂冬の陣で佐竹義宣の本陣跡地があります。
大宮神社
源義経が平家追討でここを通りかかった時に霊光があり、神殿を建てたそうです。
ここは鬼門にあたると、秀吉が鬼門守護神として再建した由緒ある神社です。
大阪工業大学の正門
正門は中央公会堂を模して建てられた赤レンガ造りです。
千人塚
昭和20年6月7日旭区の一部は、空襲で千数人が犠牲になりました。
犠牲者の冥福を祈り、個人が庭石に「千人塚」と刻んで建立した石碑が、淀川の土手にあります。
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